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「薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木」江國香織 [書籍]

最近、江國香織「きらきらひかる」の記事へのアクセスが多くてビビリ気味です。なにこれなにこれ。なんか話題になったりしてんでしょうか、江國さん。

江國香織の小説は、オシャレでステキげな物品や事象にあふれ、華奢で甘やかな雰囲気についさくさく読まされてしまうけれども、実はすげーヤバいもんなんじゃなかろうか、と思ってるわけなんだが、「薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木」はその中でも一番堪える感じでヤバい。
病んだ健やかさ、明晰な曖昧、清明な曇り、正しい誤り、みたいなヘンな形容がうっかり成り立ってしまうような、そういうのが不思議に思えなくなるような感じがして、で、そんなんなったらまともな社会生活が送れなくなってしまう。そういう、ヤバさ。

特に主人公的な中心人物がある訳ではなくって、視点が特定の誰かに定まらないまま、状況が進む。
どこんちも、なんか歪んで曇った部分があって、それをなにかで誤魔化して生ぬるく過ごしていたり、或いは離婚に至ったりする。
どの夫婦にも共感できないし、誰にも感情移入できなくって、でも、ダメ人間と切って捨てるにも至らない。
オマエらもっとちゃんとしろよ、と説教したくなるような親(ちか)しさを感じるわけでもなく、だからって物見高い見物気分で眺めていられるほどどうでもよくもない。
いや、共感や感情移入できないっていうのは正確ではないかも。
場面場面で、気持ちはわかる、同情や納得したりもするんだけど、それが一貫して特定の人物に沿うものではない。
で、劇的なお話の盛り上がりがある訳でもなく、問題が解決したり何かしらのオチがある訳でもなく、日々は過ぎ行く。みたいな。

何がヤバいかっていうと、
―みんなどうして結婚と幸せを結びつけたがるのかしら。(p.217)
とか、そういうことかな。
これだけではなく、結婚とか夫婦とか(もっと言えば社会の構成員として所属して生活すること全般、かな)に対するとりとめない「?」がさりげなく据え付けられてる。気にしないでするっと読み流してしまえるんだけど、あとで「?」ってなる。
で、大抵の場合、疑問が発せられる際にはもうそこに解答が内包されているもんだと思うんだけど、その「?」に対する解答は全然示されなくってうろたえる。
また、それらの「?」が集積して、そもそも結婚てナニ? と、ものすごく素朴ながら絶大な懐疑を抱いてしまう、とかさ。

恋愛と結婚の関係なさってのも、なんか改めて、ぎょえー、とか思う。
別に恋愛によって結婚が維持されなくても、互いに大切に思いあって共に家族を営む意思を共有できれば恋愛じゃなくっても構わないとは思うけど、それにしても関係ないものよなあ、と。
関係なさっていうか、むしろ正反対かもしれないくらい。
そもそも恋愛って、相手だけしか見えない、自分すら居なくなってまさにオンリーユーな気持ちの動きだったりする訳で、それって実は反社会的だ。
本当の本当にふたりっきりになりたい、世界が滅んでこの世に自分と相手だけふたりきりで取り残されたい、とか、そういう気持ちを本気で貫いたら世界を消すかふたりで死ぬかに行き着いちゃうような気がする。

登場人物の誰もがごく普通にどこにでも居るような人たちで、特別に悪でも愚かでもない。
そういう、普通な人たちの営む普通の結婚・夫婦ってことに、こんな歪な陰が含有されている。

なんちて。
ものごとを疑ってみるのは悪いことではないと思うけど、疑いすぎると生活していけないよな。








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